IE9ピン留め

トランスメディア提供アイコン01第25章 ミネサーキット初公式戦 決勝

そうして私にとって記念すべきミネサーキットでの初公式戦の決勝に臨むことになりました。

マシンのサスペンションセッティングは満足なものとは言えませんでしたが、それを理由にすることはできませんし、したくありません。

まずは予選から・・・

と言っても、1998年の夏のことですからほとんど覚えてません(笑)

しかし、予選落ちもせず最後尾でもなかったのだけは覚えています。

このミネサーキット、今は自動車メーカーのテストコースとして存続しているのでレースは開催されていません。
当時とはコースレイアウトもかなり変更されたと聞いています。

オートポリスは全長約4.7km、ミネサーキットは全長約3.4kmと1周で1km以上もの距離差があります。
が、シフトアップ&ダウンの回数はオートポリスの12回に対し16回と4回も多い!!
距離が短いのに反比例してコーナー数が多いのですが、ミネサーキットはコーナーリング中にシフトチェンジを行うほうが良いのか否かで悩むコーナーが多く、タイム短縮には考えることも必要になってきます。

距離が短くコーナー数が多い=コーナーとコーナーの距離が極端に短いということになるので、シフトアップせずにレヴリミットでも低いギアで行くのか?ほんの少しでも高いギアに入れるのか???
ドライバーとマシンにとっては過酷なテクニカルコースですが、ラップタイムを短縮できたときの喜びも他のサーキット以上かもしれません。

そんなことを考えながら試行錯誤しながら周回を重ねるのですが、どうしてもリズムに乗れないコーナーが・・・
そこは3コーナーと呼ばれる右コーナーなんですが、2ndギアで進入しコーナーリング中に3rdギアへシフトアップするのか?
それともコーナーリングが終わって3rdギアへシフトアップか??
ミネサーキットをホームコースとしている他のドライバーに聞くとコーナーリング中に3rdギアへシフトアップだよ・・・と、みなさんアドバイス・・・

やっぱりそうだよねーと考え、決勝レースではその走り方で行くことに決定!

だがしかし・・・そのコーナーの攻略方法が違っていたことを知ったのは翌年のことでした(笑)

# by rd-taka | 2010-01-13 00:43 | モータースポーツ

トランスメディア提供アイコン01第24章 ミネサーキットデビュー!

オートポリスで計測した時よりもなぜ30Kgも軽かったのか? などと考えているヒマはないのです。

それよりも、規定より30Kgも軽い車重をどうするか? そうです!30Kgのウェイトを積めばよいのです。

では、そのウェイトをどこに積むのか? ドライビングに支障がないようにできるだけマシン中央付近に固定します。
それでももともと軽量マシンなので30Kg増はツライ! いや、増ではなく正規重量に「戻す」のです(笑)

ウェイトを積み、再度車検場で車重計測をして規定重量をクリアしていることを確認!

練習走行枠はまだ残っていたのでヘルメットを被り「ヨッシャー!」とピットロードからコースイン・・・

灼熱の太陽とはいえタイヤは常温に戻っているので1周目はウォーミングアップ。
2周目に入り少しペースアップ・・・気のせいかコーナーからの加速が遅いような・・・

タイヤも温まりタイムアップを狙ったのですが・・・
ブレーキ踏んでもアクセル踏んでもステアリングを回してもマシンの挙動が鈍い・・・30Kgの重量増はドライビングに影響を与えていたのです。

コリャいかん!とサスペンションセッティングを変えてアタックするものの練習走行の時間終了・・・

セッティングが決まらないまま翌日の予選に臨むことになってしまいました。

がしかし!そこで落ち込まないのがポジティブな私(笑)
初めてのミネサーキットを予選落ちしないよう、決勝でも完走を目指すために気持ちを入れ替えたのです。

え?どうやって入れ替えたかって?・・・ナ・イ・ショです(爆)

# by rd-taka | 2010-01-01 00:07 | モータースポーツ

トランスメディア提供アイコン01第23章 新たなるスタート

さてさて、前章からかなりの時間が空いてしまいました。

得意の言い訳をさせてもらうと・・・
前章を書いた後、2010年のビッグレース参戦へ向けての活動が忙しくなり、過去のことより来季のことを優先にしていました。
ジョイントするドライバー、参戦マシンそして参戦チームと決まり残すところ・・・やはりスポンサー(笑)

そのスポンサー活動も例年になくターゲットを絞ることができ、なおかつトップダウンの可能性を掴むところまでこぎつけました。
あとは年明け(これを書いているのは2009年12月31日)にプッシュプッシュでスポンサー獲得を目指します!

え?参戦するレースですか?まだナイショです。

では前章の続きを・・・

1998年のデビュー戦で思ってもいなかったチームからのお誘いをお断りする理由はどこにもなく、翌年のミネサーキットでのホンダシビックレース西日本シリーズに参戦する前にと、オートポリスで使用しているマシンでツーリングカーレースへ参戦しようとしたのですが・・・

そこには厚くて高い壁がありました。
今でこそ私以外に数名の国内A級ライセンスをお持ちの車いすユーザーの方がいらっしゃいますが、当時は国内ではまだ私だけでした。

私はオートポリスでの公式戦に参戦することは可能でしたが、それ以外のサーキットでは公式戦だけではなくスポーツ走行でさえも難色を示していたのです。

しかし、前述のレーシングチームの監督が後押しをしてくださいました。
オートポリスでの公式戦への参戦が可能なのに、そして問題なくドライビングしているのになぜミネサーキットでは認めてくれないのか?と。

その後押しは私にとって涙がでるぐらい嬉しいことでした。
そして晴れてミネサーキットでの公式戦に参戦することができるようになったのです。

私にとって、そして車いすユーザーとしても初のミネサーキット公式戦への参戦。
梅雨が明けたばかりの灼熱の太陽がサーキットの路面を容赦なく照らしていたのを昨日のことのように覚えています。

初めてのコースを覚えるために練習走行は慎重に、かつ自分のペースを乱さないように周回を重ねていきました。
日頃はオートポリスで戦う仲間がサポートとして同行してくれていてラップタイムを計測してくれたのですが、ピットから出されるサインボードを見ると・・・ナンと!ミネマイスターと呼ばれるほどのドライバー氏を凌ぐタイムだったのです!

最初は信じられなかったのですが、走行中に差が縮まっているのがわかるほど・・・
このコースは初めて走ったにもかかわらず好きなレイアウトであることに違いはないのですが、それにしてもこれはオカシイ(笑)

一旦ピットに戻ると、監督が「お前のタイムはオカシイ!」・・・そうだよねーやっぱり(笑)
「車検場に行って車重を計ってこい!」と言われ素直に車検場へ・・・
でもなぁ、このマシンでオートポリス走ってるし車検も通ってるし・・・と考えながら車重計に載せると・・・
あははぁ!規定よりも30Kgも軽いじゃん!そりゃ速いはずだ!

この続きは次章で・・・

# by rd-taka | 2009-12-31 00:20 | モータースポーツ

トランスメディア提供アイコン01第22章 夢そしてチャレンジ

ここで少し過去を振り返ると・・・

私が小学校に入学した頃に18歳年上の従兄が運転免許を取り、クルマを買った時に助手席に乗せてもらい「こんな乗り物があるんだ!」と衝撃を受け、今では死後になった「カーキチ」になりました。

その当時(1967年頃)は今のように道路も整備されておらず、1級国道でさえも未舗装だったことを覚えています。

自動車レースというものを知ったのは何歳の頃だったのかなぁ?ほとんど記憶にありません。
鮮明な記憶があるのは1976年と77年に富士スピードウェイで開催されたF1ですが、この頃にはすでにレーシングドライバーを夢見ていました。

年齢的にはレーシングカートへの参戦をするのは可能でしたが中高生では自己資金での参戦など不可能ですし、親からのサポートも望めず諦めるしかありませんでした。資金難は今でも続いている悩みです(笑)

その後はこれまで書き綴った道程を辿り、公式戦デビューとなった訳です。

そして私自身の公式戦2戦目の時に嬉しい出来事が起こったのです。

公式戦ではほとんどの場合前日に練習走行の時間帯が設けてあるので、マシンの最終調整と自分自身の慣らしも含めて走りこみます。
公式予選では大幅に調整変更を施すほどの時間はありませんからドライバーもピットクルーも真剣です。
納得がゆくまで走りこみますからコースクローズドされる夕方までその作業が続くのです。

嬉しい出来事はその後の夕食の時に起こりました。

オートポリスサーキットに隣接している「うかれ亭」という文字通りモータースポーツにうかれているマスター家族で経営されているレストランに入ると、そこには西日本地区では有名なレーシングチームの代表の姿が。
公式戦ですからそのチームのドライバーも参戦されるのでマシンメンテナンスとして来ていらっしゃいました。

レーシングドライバーの仲間がその代表のチームに在籍していたことがあり、以前から面識があったためすぐに気づいてもらったのですが第一声は「おや?今回は誰の手伝いで来たの」でした。
そうなんです、この時はまだ私がA級ライセンスを取得し公式戦に参戦していることをご存知なかったのです。

「いや、今回は私が走るのです」と答えるとかなりビックリした様子でしたが「頑張ってくださいね」との言葉をいただきました。
でも内心は「どうせ予選落ちだろう」と思っていらっしゃったはずです(笑)

そして翌日、無事予選通過、そして決勝も完走。

パドックに戻ると代表から「ちゃんと走れるじゃないか!来年はウチで走ってみないか?」と・・・

夢のような話しでした。もちろん参戦費用は自費ですが有名チームのドライバーとして走らせてもらえるなんて考えてもいませんでしたから。

しかし、現実はそう簡単にはいかないもので新たな壁が待ち構えていたのです。

この続きは次章で・・・

# by rd-taka | 2009-09-09 23:46 | モータースポーツ

トランスメディア提供アイコン01第21章 初の決勝レース

各車猛然とスタート!

ポールポジションのドライバーは後続車に抜かれないように、そしてミスをしないように慎重かつ大胆にコースを攻めます。

そして前車に追いつけ追い越せと果敢に攻める後続車たち・・・

テレビで見るF1やスーパーGTのように1時間以上走るわけではなく、ほとんどの場合は10周でゴールします。

え?たったの10周なの?と思ったでしょ?

そうなんです、1日で様々なカテゴリーの予選・決勝が行われますから、そんなに長く走るわけではないのです。

ですから、ピットインしてタイヤ交換やガソリン給油はありません。

それだけにほんのちょっとのミスが結果に響いてくるのです。

さて、スタート後の私はどうしたか?

予選結果はほとんど最後尾、ポールポジションとの差は1周で7~8秒だったと記憶しています。

初戦のオートポリスは1周4,674m、デビュー当時の私のラップタイムは2分20秒前後。

ポールポジションのタイムは2分12~13秒ですから10周のレースのゴール時では1分~1分20秒程度差が開きます。

ですからデビュー戦とはいえレース終了までにラップされる心配はないのでとにかく前車を抜くために全神経を集中させて走ることができます。

結果は?可もなく不可もなく、無事にゴールすることができました。

最終コーナーを抜けチェッカーフラッグを受けコースを1周してパドックへ戻るのですが、その時はさすがに目から汗が出たのを覚えてます。一般的には涙と言うみたいですね(笑)

パドックへ戻りドライビンググローブを外しヘルメットを取った時、ペットボトルの差し入れが届いたのです。
スクーターにまたがった男性の目には涙が浮いていました。
私の完走をとても喜んでもらい、その方には今でも良き先輩としておつきあいしていただいています。

中学生の頃レーシングドライバーになることを夢見、30代半ばにして実現させたことが間違いではなかったのだと思いまた熱いものがこみあげてきました。

レースに完走し、他のチームやドライバーから祝福の言葉をいただき、同じ志を持つ者として認められたことがとても嬉しく感動し、この感動を私のあとに続く同じ悩みを持つ方達へ伝えたいと思ったのもこの時でした。

# by rd-taka | 2009-08-23 22:00 | モータースポーツ

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